遭遇

■遭遇

 遭遇の意味を辞書で調べれば、思いがけず、めぐりあうこと、とある。今日はそんな日であった。

 今日もおかげさまで予定がないので、いつもの通りセカンドオフィスに向かう。8時前には到着したが、指定席は埋まっていた。常連さんは9時に来店されるので、この一時間は何ごとに置いても集中できる。

 ふと、顔を上げると、見たことのあるご婦人の顔があった。マスクをしているのではっきりと自信がないが、少し見ていると、くさのさんご夫妻本人であった。これは、驚いたね。居るとは思わないので、しばらく目が宙を浮いていた。少しの時間寄ったとのことで直ぐに出られた。

 そして、常連さん達が2名来店される。今日は、喫茶店の話で盛り上がった。第二部の喫茶店巡りが新しい楽しみのなっているようである。今日は、昨日歩けなかったのでそのリカバリーも必要である。週末なので歩数のチェックもある。

 店を出て、後ろから常連さんに声を掛けられる。そして、ご婦人と接してこっちを案内された。はて、誰だろうと思い出して見るも分からない。なにせ、濃いサングラスにマスクに帽子である。これで分かれば大したものだ。常連さんは分かったということである。 

 考えているうちに、そのご婦人が近づいて来て、「元気そうでいい」と言われる。これで分かった。”富山のアメリカ大統領”さんであった。これも驚いたね。もっとも相手も用事があったらしく、直ぐに目的地へ向かった。

 遠回りして帰宅しようかと思ったが、寒かったのでそのまま帰路に着く。

 二度あることは三度ある。向かいの奥さんと鉢合わせである。昨日もあったので毎日道端で逢っている。といっても、向こうは自転車なので、すれ違うだけである。

 昼食は決めてなかったが、手っ取り早くスパゲッティにした。それも、ケチャップで和えるだけである。まあ、今後レパートリーを増やして行こう。

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 可もなく、不可もなくといったところである。

 長い間ファンヒーターの前でなご成っていたが、コーヒーを飲みに出る。途中の公園で、歩数を稼ぐ。

 ここで、週平均の歩数を確認すると、19,579歩/日であった。まあ、先週と似たような結果になった。

■「妻から哲学」(土屋賢二著、文藝春秋、2021年)を読む。(その3)

「楽しみたいから長生きしたいのに、その楽しみを放棄しないと長生きできないのだ。」

「残念なことに、犠牲なしには何物も手に入れらえないのがこの世の鉄則だ。」

「好きなことばかりしてると、試験に落ちるか、身体を壊すか、金を失うか、孤独死するのがこの世の仕組みなのだ。」

「~“心の平穏”こそ最高の快楽だと考えた~」

「自分の都合のためなら、デタラメもこじつけも辞さないのが老人の特権だ。」

「~年が明けるのがなぜめでたいのだろうか。」

「人間が愚かな行為をするのは死を忘れているからだ。死と向かい合って生きるのが人間のあるべき姿である。」

「人間が一番笑うテーマは、深刻な不幸なのだ。」

「笑いは悲しみと両立する。」

「会ってみると、みんな成長しないまま外見だけ老けるという最悪のパターンをたどっていた。」

「~教養は知識ではない。」

「教養の主な中身は歴史、文学、哲学などの人文系の学問だとされている。」

「~一切の希望を捨て、最悪の事態を確信して覚悟を固めてしまえば、何が起こっても動揺しない。」

「無限なものは二つしかない。一つは宇宙、もう一つは人間の愚かさだ。」

「何にでも見返りを求める根性は恥じるべきである。」

「目標を立てる者だけが挫折する。」

「目標を達成する執念がないと成長しない」

「人が存在しているうちは死はそこにない。死がそこにあるときには人は存在していない~」

「順調で楽しいだけの旅行は思い出に残らない。」