■木材情報セミナー
今日はお勉強の日である。勉強して何に使う?と自問自答しながら朝を迎える。
久しぶりに朝風呂に入る。家人は遅出なので、朝食を作り食べてからセカンドオフィスに向かう。
今日は靴でも大丈夫であった。224円のコーヒー一杯だけ頼む。そのうちに、常連さんが2名来店される。
上着に穴が空いていることが分かった。ここまで使えばもういいだろうと新調することにした。近々”働く男”の店へ行こうと決める。
常連さん達との話は、多岐に渡ったが、トイレの話が長かったね。
今日は、早目に出て昼食を作る。今日は、味噌カレー牛乳ラーメンに決めていた。昨日買って来た肉を残している。この肉は豚肉である。これを焼くので文字通り焼き豚になる。しかし、味付けは焼き肉のタレなので、焼き肉になろうか。
余ったスープにはご飯を入れてリゾット風にして平らげた。なんか足りないが、分かっている。野菜の旨味である。次回は、野菜ジュースでも入れて見ようかね。
家族が戻って来る隙間時間で、フォレストの準備作業を行う。
家人を職場に送り届けた後、帰宅し、車を置いて歩いてセミナー会場へ向かう。
話は良かったね。定員以上の参加者があった。ネクタイに背広の人が多かった。この業界の全てが網羅されていた。いろいろ勉強になったが、特に印象深いのは、コンクリートは半永久ではなかったということであった。建物や橋などをコンクリートで作った時代があり、この時は半永久的に使えるということだったらしい。しかし、50年も経って見て、そうではないことが分かって立て直さざるをえないとのこと。先ごろ、アメリカで橋が落ちたことを思い出したし、従来、日本の寺院では木造であり、少しづつ修復しながら長い間持たせてきたことなど思い出していた。一つの部品が壊れて、全部取り換えというおかしな時代を生きている身としてはありがたい話であった。まあ、自分は生きている期間ではならないかもしれないが、次の世代へと伝えていきたいね。
■「絞め殺しの樹」(河崎秋子著、小学館、2021年)を読む。
「温もりが欲しければ、与えられるのを待つのではなく、自ら手を伸ばせばいい。」
「沈黙は、少しでも無難に生きのびるための手段だった。」
「~何もかもが生き急ぎ、死に急いでいるようにさえ見えた。」
「辛抱できる者が最も得難く尊い」
「人に何かを言われても心に余計な傷を負わないようにしているのが一番楽なのだと、生活の中から学びとっていた。」
「犬を大事にしすぎる家と、猫を粗末に扱う家は滅びる。」
「~勉強ができれば多少生活が窮屈だろうが飯が貧相だろうが、いくらでも我慢はできた。」
「記憶の中の人は止まったまま変わらない。」
「勉強で自分の人生を拓けるかどうか。」
「~山登りが趣味というだけあって、体型や肌艶も健康そのものだ。」
「選択肢がない。わたしの人生は、いつもこうだ。」
「誰もが頑張り過ぎ、苦労をし過ぎ、家族を想い過ぎ、そして無理をし過ぎている。」
「~死者を軽んじる姿勢というのはすぐ分かる。」
「朝焼けがきれいな日は天気が悪くなる。」
「できることなら新しいものを得ることなく、思考を停止して萎みながら死んでいきたい~」
「一人分の人生の軽さがありありと感じられた。」
「立てる限りは立つ。死ぬ時までは生きねばならない。」
「世の中の在り方ひとつで人の生活が街ごと歪んでいく有様を~」
「お釈迦様が悟りを開いた時の木は~インドボダイジュ~イチジクの仲間でね。蔦性の植物。」
「自分のペースでしか話を進められない人間は注意しておいたほうがいい。」