好天

■好天

 今日はいい天気になるという。今朝もすっきりと起きることが出来た。不燃物のゴミ当番なので、直ぐに向かい箱を広げるが、既に遅かった。まだ、7時前である。

 そして、自宅の不燃物を持って行く。これで、2往復になる。

 それから朝食を作るのであるが、既に用意されていたのでそれをいただく。

 天気がいいというが、風は冷たくとても出かけられる気分ではない。部屋でなご成り、昨日の番組をNHKプラスで視聴する。

 なんか、不安定さを感じる。少し無理強いして、セカンドオフィスまで徒歩で向かう。歩いているといつもの自分に戻ることが出来る。今日は、パソコンを下げていない。少し分厚い本を読んでいるので、たぶん時間はないだろうと持って来なかった。

 いつもなら11時で終わるのに、今日は12時を過ぎてまで読んでいた。面白かったね。

 別に急いでいる訳ではないが、昼の準備でスーパーで買い物をする。

 今日は、スパゲッティである。この間できなかった、ソーセージエッグスパにする。

 汁は、いつもは、鳥ガラと麺つゆにしているが、醤油ラーメンの素があるので、それを使う。成分は似ているが、バランスは違う。ラーメンよりも薄くした。そして、一味を8回振った。何回がいいのか忘れてしまっている。この間はちょうどであった。

 今回工夫(?)したのは、卵である。卵黄だけ固まらせて、白身はスープに流し込んだ。これが良かった。

 少し辛かったね。やはり8回振りは多いのだろう。次は6回にしてみようか。

 少しなご成る。

 甘酒が出来ているので、カブの漬物と合わせる。この際、味は二の次でいいと思っている。肝心なことは麹を摂取することである。

 キャベツの千切りも無くなったので、もう半分を処理する。数日は持とうと思う。

 食材が少なくなって来たので買いに行かなければならないが、洗濯物の取り込みの15時までまだ時間があるので、実家の後片付けをする。ノコギリの目立てをしていたら、目立て用のやすりが欠けた。なんじゃこりゃである。

 スーパーに近いセカンドオフィスへ向かい、これを書いている。

■「兜町の男」(黒木 亮著、毎日新聞出版、2022年)を読む。

「八歳のときに病気で左眼を失明し、右眼だけで年間数百冊の本を読む読書家だ。」

「人間の躰で肛門は力の中心だ。あらゆる力は肛門から盛りあがる。」

「“兜町”と書いて、“しま”と読ませるんですよ」

「赤ん坊や年寄りが、栄養失調で次々と亡くなっていった。」

「おかずは醤油と塩である。」

「日本経済は両足を地につけておらず、米国の援助と国内の補助金という日本の竹馬に乗っている」

「~もう家畜のような生活をしながら~」

「生きてゆくため、必死で知識を吸収しなくてはならない。」

「南北に長い地相の土地に家を建てると、仕事が変化するんだ」

「引き運の強さっていうのは、要するにタレントとしての生命力の強さなんだろうね」

「~自宅の仕事部屋の椅子にすわり、口述筆記をしていた。」

「~生活は判でおしたように規則正しかった。」

「自分は死ぬときは、昔の文士のように、四畳半の薄暗い部屋で、なにももたず野垂れ死にしたい」

「~共産主義は、結局、中枢にいるごく一部の人間が権力と富を独占するための仕組みにすぎなかった。」

「~作家及び出版社は、当該モデルとされた個人の犠牲において営利を得るものである」

「善人はつまらない。素材としてこんなつまらないものはない。」

「・・・・まあ、老人病なんだよな、眼の病気っていうのは」

「病院にいくたびに、次から次へと薬が増えるんで、往生しとるよ。」

「飲んでいるのは降圧剤、糖尿病関係、精神安定剤などらしかった。」