HIROu

■HIROu

 今日は午後から雨予報になっていた。天気(低気圧)のせいなのか、先日までの森の寺子屋のせいなのか、定かではないが、朝から疲労を感じる。

 風呂が沸いていたので、追い焚きして入る。これで、夕方も入るだろうね。

 昔というか若い頃も似たような疲労は自覚している。その当時は、軽い場合は、♪♪ヒーロー ヒーローになるとき あはぁ それは今~、などと笑い飛ばしていたし、ひどい時は、栄養ドリンクを飲用していた。ラベルに医薬品と明記してあるタイプで清涼飲料水と明記してあるのは効かなかった。まあ、一本200円以上であったと記憶している。これを、ロット単位(10本)で購入して、飲用していた。

 そのうち、薬屋さんがお客になったので、原価の60円で売ってもらえるようになった。

 今日は、軽い方と重い方の中間ぐらいである。朝方は、曇りで降っていなかったので、徒歩でセカンドオフィスへ向かう。なぜか、歩けば緩和するようだ。もしかしたら、精神の方から来ている疲労かもしれない。

 ソメイヨシノが散ってからの楽しみは、桜の実である。赤いのを付ける。これを改良してサクランボにしたのが佐藤さんだと聞いたことがある。多分、別の品種であろう。

 まだ、小さいが中には大きな実が見えた。まだ青いが大きい方である。

 セカンドオフィスは空いていた。まだ、8時を回ったばかりである。ここは、すごく高いが、静かな雰囲気を味わえるならいいかもしれない。コーヒーのSサイズを頼んだが、三分の一は飲み切れず、廃棄する。別にコーヒーが好きというわけではない。まあ、体調も悪いので仕方がないな。

 ここで、出前講座の資料を作った。折り紙細工である。当日ヒロウする。

 今日は寒い。そして蕎麦の日である。これは、温蕎麦に決まったようだ。久しぶりにキツネ蕎麦にした。帰宅後、着替えもせずに、真っ先に揚げに味を付ける。砂糖と醤油だけである。味が沁みる時間が必要である。

 そうして、蕎麦を茹でる前に、副菜を準備する。今日のメインはべったら漬けである。浅漬けの状態で食べたら酸っぱかったので腐敗も考えられる。一日、甘酒に漬けただけである。そして、昨日の干し芋を炊き込みご飯にしたので、これも味わおう。

 べったら漬けは、甘くなっている。麹の甘さである。売っているのほど美味しくはないが、近い感じでこれで十分である。

 こうなると困ったことが起きてしまう。漬け樽は一個しかないので、ベッタラ漬けを作り続けてしまうと、メンマが作れないことになる。そろそろ、タケノコが顔を出す時期になる。急ぎ準備しなければと思うが、小さいポリバケツと中板と重石である。

 順序は、家にあるのを探すか、100均でバケツを買ってくる。それに合う、重石を探す。中板を製作するという順番になる。これをやるまでには、①額縁ようにカーテンレールの取りつけ、②干支の見本製作、③門松のコモ巻のサンプル製作の後になろう。

 幸い、新しい申請書は入って来ないので、今が勝負であろう。正直、疲れるね。

 家人から買い物を頼まれたので、車で送ってから買い物をして、喫茶店に行こうと考えていたが、眠気が勝り帰宅した。夕方まで昼寝である。やはり、疲労がある。

 なんとか、起きて近くのセカンドオフィスに来ている。

■「人は死ねない」(奥 真也著、晶文社、2022年)を読む。(その3)

「現代の人間が“死生観”を個々に確立させていかなくてはいけないのは必然であろうと思います。」

「私はもう、やりたいことは存分にしてきた。思い残すことはなく、いつ“お迎え”が来てもいいのだ。」

「死ぬ権利がないこと、日本の法律に“脳死”の定義はあるのに“死”の定義はないこと~」

「ただし、臓器移植は人工臓器が実現するまでの過渡期の技術です。」

「AI医師」

「ACPシート(自分の意向をまとめておくためのもの~)」

「一つ目の問題は、人間は心変わりをするということです。」

「人の生死に関わる議論をお金の問題と直接関連付けることは間違っていますし~」

「さて、安楽死の実行日となる“命日”はいつにしようか~そんなことを考えながら、人生の“最終イベント”に向かって忙しく充実した日々を過ごしている。」

「あなたが人生に終止符を打ちたいと思うとき、何を一番重視するかを考えてみてほしいと思います。」

「オプトアウト(本人が生前に臓器提供に反対していなければ、承諾しているものとみなすこと)」

「過去を調べると2000件を超える未成年の脳死判定があり、200件にちょっとみたないくらいの異議申し立てがなされていて、そのすべては脚下されています。」

「しかし、高齢化が進行し、国力がぐんぐんと低下している日本において、定年制度の存続も、また、会社という存在にしがみつくような生き方も、ずっと保障されているわけではありません。」

「死は死語になる」