忘れこと

■忘れこと

 怒涛のごとく、しいたけ植菌3連荘が終わり、休むことに決めていた。しかし、忘れていることが押し寄せてくる。ベッタラ漬け作り、干物作りである。ベッタラの方の下漬けは3日が適当であるが既にだいぶ日が過ぎている。干物も見た目では干しすぎの形相である。まあ、ダメなら廃棄するまでだなあ。

 昨日は朝晩と2回風呂に入った。晩に入ってからは、速攻で熟睡であった。そのため、朝は4時頃に目が覚める。さっそく、朝刊を確認である。ちゃんと掲載されていた。グループラインで会員に送る。

 子供は出勤日で飲み会ということで、家人が送迎する。そのため、車は空いていた。しかし、休息日と決めていたのでなんの予定もない。木の芽でも採って来ようと車で出かける。

 サクラがきれいである。これは、関山という種であろう。桜湯にする品種でもある。

 公園の花は盗ってはいけないが、落ちているのは大丈夫そうだ。桜の花を落とすのは野鳥のウソが有名であるが、ヒヨドリも落としているようだ。公園で、ツグミを見た。枝に留まって鳴いている野鳥はいたが、スマホで撮影しようとしたら飛んで行った。

 遠目で白い花が目立っていた。近づいて確認すると、アキグミであった。また、秋にはお世話になりそうである。

 このまま帰宅すると、無為な一日になりそうなので、セカンドオフィスへ向かう。プリペイドカードの使える店は9時開店で30分ほど待たなければならないので、日頃行かない店にした。

 朝食は食べて来ているが、コーヒーのSサイズだけ注文した際、お食事でもいかがですか?と妙齢の女性ににこやかに語りかけられると、ほとんど抵抗力の無い高齢者は、それならと頼んでしまうのである。特典としては、SサイズがMサイズになるという。

 結局コーヒーは飲み切れず、水のカップに移して持ち帰って来た。

 帰宅後は昼食である。最近、外食が多かったので今日は何の日かをこのブログで調べるとスパゲッティの日であった。気分的に、マーボスパにした。なるべく、甜麺醤を使わないで作ろうとしたら、既に買ってある甜麺醤があったので、少し使う。豆腐は、半丁取り出すときに崩れてしまったが、食べれば同じである。問題だったのは、ダイコンのベッタラ漬け用の大根の葉である。少し酸っぱい気がした。腐敗が進んでいるのだろうか。それでも、一つかみ食べた。今日はベッタラ漬け作らなければならない。

 関山は落ちているのを添えた。塩漬けして桜湯とするには、量が少なすぎる。

 少し甘かったね。肉はひき肉はあったが、バラニクにした。特に違いは感じない。さんしょうがあったはずであるが、冷凍庫の中がぐちゃぐちゃで探し出せず諦めである。

甜麺醤を少なくしたので色味は良くなった。

 そして、日曜日のルーチンのテレビ放送を見る。今日も面白かったね。日曜日はこの番組に合わせて生活を組み立てている。

 雨が降ったり曇ったりと不安定な日であったが、出前講座の原稿作成にセカンドオフィスへ向かう。

■「人は死ねない」(奥 真也著、晶文社、2022年)を読む。(その1)

「死はもはや、“生の対極”にあるのではなく、“生の一部”として生きとし生けるものすべてにその存在意義を問いかけている~」

「いつやってくるかわからない病気や死を恐れながら生きる。それが一般的な“生のあり方”でした。」

「だから無茶苦茶な生活をしなければ、自分の体がどのように衰えていって何歳ぐらいで死ぬかも、今はだいたい分かります。」

「がんは年齢が上がるほど発症率も上がっていく病気です。」

「~目、皮膚、心臓、肺、間接(肘、膝)などの人工臓器研究にはほぼ見込みが立ちました。」

「たばこの煙の中には、発がん性物質が約70種類も含まれています。」

「吸いたくもないたばこを他人から吸わされるなんておかしい」

「エピゲノムは食事や運動習慣、生活のリズムなどによって遺伝子の働き方を制御する仕組みです。」

「これまで医師の五感に頼っていた診察も、センシングによって置き換えられる未来がやってきます。」

「センシングによって健康寿命を延ばし、歳を取っても亡くなるぎりぎりまで自分のしたいことをして人生をめいっぱい楽しむことが現実のものになってきます。」

「~人間の生物学的な寿命~だいたい“120歳”ぐらいがよいところ~」

「人間の臓器の耐用年数はだいたい50年ぐらいだと考えられています。」

「人生100年どころか、人生120年がますます現実味を帯びているのが現代なのです。」

「ふだんから健康維持につとめて、それでもやってくる小さな不調や病気とうまくつきあっていく“多病息災”こそが、未来に生きる長寿の人類の自然な姿なのだと思います。」