朝飯後

■朝飯後

 今日も暑くなりそうだ。どこへ避難しようかと考えながら起きる。筋肉痛は昨日ほどの痛みはない。やはり50代の筋肉に変わったのでは無かろうか。(アホ)

 風があり涼しく感じられる一日であった。今日もフォレストの準備作業をしなければならないが、そのまえに、朝食である。まあ、いつもと変わらない。

 大きな展示パネルを作る。どうやって立てるかと言えば、裏に棒を2本使い、蝶番で固定する。簡単なようであるが、なかなか時間がかかった。できは50点ぐらいであるが、まあ立てば良かろう。

 少し休んで、最短のセカンドオフィスへ向かう。ここには銀行が併設されているので便利である。しかし、満席であった。自分は先に隅の席を確保してから注文しているが、前のご婦人は、場所がないと店の方に断られていた。結局、帰られた。

 昼になったので店を出て、途中買い物をして戻る。今日は蕎麦の日にした。とろろ蕎麦である。なんか寂しいので、冷蔵庫の余り物で天ぷらを揚げた。家庭菜園のトマトは明日あたりか。今日でメンマが無くなってしまった。

 量を多くしなかったので、ちょうどである。このくらいが適量と判断する。

 昼食後は昼寝である。昨日の見逃し配信も視聴する。寒さで目が覚めたね。

 そして、塩漬けメンマを取りに向かう。昨年は、カビが生えて全量廃棄したが、今年はどうか。

 なんか大丈夫そうである。一握りをボールに取る。

 ここから24時間で塩抜きである。水も何回も交換しなければならない。その後、味付けである。こっちの方は、大丈夫である。

 さあ、初めての塩で保存したメンマである。期待と不安が入り交じっている。

 はっきりしたことは、来年からは最大限スケールアップしようということである。

■「“マスゴミ”って、言うな!」(斉藤貴男著、新日本出版社、2023年)を読む。(その2)

「税金を私物化して国会を偽証ショーに貶めた、あるいは国民の健康や生命より利権を優先した政治屋どもを不問に付し~」

「国民は民主主義に関心がないか~」

「暴言は~政治信条であり、思想だ。」

「SNSの利用者は“他人の意見をどんどん聞かなくなって閉じこもっている」

「政治権力によるテレビおよび新聞ジャック、およびそれが許される時代に、この国の末期症状を見た。」

「ならば本を読もう。」

「~新自由主義イデオロギーがその実、富裕層による独占や、社会の解体ばかりを招いた現実に気づくことになる。」

「~これからも“まず成長”ありきの国策が続けられるのであれば、そんなことは不可能だ。」

「ことさら低く扱って己の優位を確認したがる~」

「~米国の核兵器を日本に配備し、共同で運用する“核シェアリング”を議論すべき~」

「既に歩道は歩行者にとって安全な通行路ではない。」

「新聞を読まない人、テレビを見ない人が珍しくもなくなった。」

「資本主義の国は侵略をしない、とでも?」

「つまり有権者に政策の良し悪しは関係ない。」

「勝った者が正しい、とは。反知性主義もここに極まれりだ。」

「はたしてSNSの動画投稿サイトに溢れる嘘、嘘、嘘の積み重ねが導いた混沌だ。」

「五輪とは政財官の構成員らが私腹を肥やすための仕組みでしかなかった~」

「だがもはや、スポーツに純粋さを求める方に無理がある時代になってしまった感がある。」