■走馬灯26
ぜんちの人生は幸せでした。
■「老いへの“ケジメ”」(斉藤茂太著、新講社、2015年)を読む。(その2)
「したがって“死は寿命を全うすること”というより、医療の敗北、病気への敗北ということになりがちである。」
「死も学ばなければならない。」
「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」
「余命何日といわれても、平気で生きている~」
「未練をなくすためには、結局、青い空を愛で、空気がうまいと思えるような融通無碍な生き方をすればよいのである。」
「人生は長さではない~」
「あまり長く生きることを望まないというのも、こころの整理のひとつではないだろうか。」
「あまり多くを望まず、一日一日を精一杯生き、静かに去っていったのである。」
「人生で何が大切かを理解さえしていれば、若い頃より時間を大切に使えることになる。」
「夫婦は一心同体などというのは幻想に過ぎないのだ。」
「妻に先立たれると、ボケてしまう男性が多い。」
「こうしてみると、仕事中心の男などというのは意気地のないものだ。」
「~まず自分の事は自分でするということだろう。」
「もっとも悲惨なことは、飢餓でも病気でもない。自分が誰からも見捨てられていると感じることです」
「ボランティアとは、つまるところエゴを減らしていくということだ。」
「結局、生きるということは、死がこわくなくなるまで生きるということなのかもしれない。」
「あの世はいいところに違いない。その証拠に死んだ人は誰も帰ってこない。」
「大切なことは、今を精一杯生きることである。」