人の不幸は蜜の味

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■人の不幸は密の味

 (この部分は、モデルが特定される恐れがありますので、割愛します。)

 この時点で、誰が吹聴したかが分った。■■さんであろう。

 ■■■■■■■や日頃の行動から推測すると、人の不幸が面白く楽しくてたまらないようだ。

 まあ、このような方は、多いと感じている。心配しているというポーズを取りながら、影で盛り上がっているようだ。同じ盛り上がるなら複数人いた方が楽しいので、誰彼と吹聴するのである。

 裏切られた気分で、長い間不機嫌が続いた。

 ■■さんのような人は昨今の戦争被害の報道を見ても、楽しんでいるのだろう。

 吹聴した相手とのやり取りが目に写るようだ。(以下は、創作です)

■■さん 「ぜんちさんは、どんな様子だった?」

■■さん 「どんな様かというと、これが本当のざまみろ、という様だった。」

■■さん 「ぜんちさんは、もう終わったようだ。ハハハハ、可哀想にのう、クッ、クッ、クッ」

■■さん 「ほんとねぇ、何が起こるか分からないわ、ほほほほ。」

■■さん 「■■■■■を引きずり、■■■■■■■を差し込んで、ぷほっ、思い出すと笑いが込み上げて来る」

■■さん 「いろいろ勉強されてたのに、全部無駄になったということか。アッ、ハハハハ。全く、自己責任よねえ。」

■■さん 「いつも、偉そうなことばかり発言していたので、罰が当たったんだと思う。」

■■さん 「そう、そしてあの腹がすべてを物語っていると思うの。ああ、日頃健康に気を使っていて良かったなあ」

 こういうケースもある。3名の中高年の御婦人のことである。さかんに病名を知りたがる。医者でもないのに何故か。それは、仲間内で笑いあうためである。共通しているのは、私はあなたのことを本当に心配しているので何処が悪いか教えてくれない?という。うふふふふ。

 私は、内蔵疾患と応えることにしている。

 また、同級生からも電話が掛かって来た。中学校時代でほとんど接点はない。いったい誰が吹聴しているのだろうか。人の不幸がそんなに嬉しいのか。

 ■■■へ顔を出したら、お茶に誘われた。魂胆は、分かるので、即お断りした。あんたに、何が出来ると云うのか。

 近所の婆さんも寄って来た。なんと、2 ケ月ほど、帰宅してないことをきっかけに聞いて来るではないか。

「頭の病気です」と方便を垂れる。近所の目は、怖いね。

 自虐ネタなら、たいしたことは無いが、自分は高い安全な場所にいて、眼下の困っている人々を笑い飛ばす。ストレス解消とばかりに盛り上がる。

 そうして、自らに降り掛かりそうなら人のせいにする。そんなニンゲンが増えているように感じる。

 ニンゲンの行動は、その人の考えに従う。不幸な人を笑い飛ばすと、外見がそうなる。この年になると、顔を見れば、どんな考えのニンゲンか、この先どんな人生になるのかが、おおよそ分かる気がする。 

 そういう方々に言いたい、自分や家族が病気になり、世間から笑い飛ばされていることを、どう感じるのか。

 ある書物にぴったりの表現があった。

「どうしようもなくダメな人間というのは、時々いる。~今の事しか考えず常に楽な方向に流れ、自分の利害にはこだわるが他人の気持ちには無頓着、目標のために頑張ったり我慢したりする事ができず、結果としていつまでも進歩しない。」

 まあ、こういう軽い輩には、近付かないようにしよう。

 本当に困っている人には、心から寄り添いたい。

■「禅の知恵に学ぶ」(山川宗玄著、NHK出版、2022年)を読む。(その2)

「“勇猛”は、簡単に言えば“なにくそ!負けないぞ”という気持ちです。」

「世の中で起きている現象は、過去のさまざまな因縁によって起こるべきして起きていて、人間の力でどうにかできるものではありません。」

「肝心なのは、毎日同じ時間に行うこと。」

「一日でも修行をしなかったら、自分は食べる資格がない。」

三毒とは“貧瞋痴(とんじんち)”のことで、“貧”は貪欲、貪ること。“瞋”は瞋恚、憎み怒ること。“痴”は愚痴、迷い惑って道理に叶わないことです。」

「得たものはどんどん捨てなければ、本当の悟りにはならないものです。」

「~あれほど質素な食事を続け、過酷な労働をしていても、雲水たちは元気です。~生命の危険につながるような大病をした者は、ただの一人もいませんでした。」

「粗食と規則正しい生活が、人間本来の力を引き出すのかもしれません。」

「仏教の歴史の中で、餓死したと言われる出家者はほとんどいません。」

「食べられなければ、食べなくてもいい」