嬉し悲し

■嬉し悲し
 朝から雨である。しかし、傘を差して散歩をこなす。歩いていると寒いと思う人が多いが逆である。体の芯からポカポカになる。2kmほど歩いて、コーヒーショップに入る。今日の天候は目まぐるしかった。雨は夜更け過ぎに雪へとは変わらず、アラレやミゾレになったかと思うと、太陽が照り付けて汗ばむときもある。本を読んでいたので雲の様子は分からなかったが、雨雲と青空が交互にやってきたのではなかろうか。結局4時間近くいた。
 昼は自宅へ戻る。三番目が今朝帰省してきたので、かぶらずしを出す。せっかくなので家族に食べて欲しい。
 状態はいい。水が結構上がるのに驚いた。本当はここ数日は2kgほどの重しをしなければならないが、やってない。

 まだ戻って来ないので、さりげなく食卓に置いて様子を見ることにした。

 しばらくして戻って来た。寝たふりをしてミミダンボで様子をうかがっていた。家人が飛びついた。まず、一個を小皿に取り丸ごと食べてしまった。『おいしい、おいしい』と聞こえよがしに言っている。そうかと起きあがったら、もう一つ丸ごとほおばっている。普通は、半分か4分割して食べると思ったが、あっという間に千円分ほど食べられた。まあ、いい。
 気を良くした私は来週から2回目を作ることにした。材料の在処はすでに調査済である。2回目もサバで行い、3回目はブリにしようと検討している。
 質のいい睡眠を得るために昼寝をしないように努めてはいるが、どうもうまくいかない。テレビをつけて見てもつまらない番組ばかりで面白くないので消す。うつらうつらしていたが、眠ってはいないか、眠っても数分だろうか。
 郵便が届いたようだ。この時期喪中の葉書が多い。昨日も2通届いた。今日は1通で自分あてであった。葉書を見て驚いた。前の職場で知り合ったシルバーの方であった。下手な若手よりも手が早く仕事にも熱心であった。73歳とまだ若い。
 山のことに詳しく昼休みなどに話が合いいっしょに、剣岳へ行こうと向かい。剣御前小屋で宿泊した思い出がある。
 ありがたかったのは、まだ登山3年ほどの自分に『あなたなら、剣岳は登れる!』と応援してもらったことである。それが後押ししてくれて、やっとやっとではあったが登頂できた。感謝である。最近は偶然に大和でも会って一緒に飲みに行きましょうと話していたところであった。毎年届く年賀状も筆書きで力強いのが特徴で、元気なひとだなあと思って居ただけに残念である。(合掌)

■「百年の散歩」(多和田葉子著、新潮社、2017年)を読む。
「土地をころがし、住人を追い出し、森を潰し、鹿を引き殺して、利潤街道をぶっとばしていく。」
「漢字を知らないことが恥ずかしいのだ。」
「〜長年失業している人を雇って文句を言いにくい社風をつくりあげてきた〜」
「時間は死ぬ瞬間まである。」