走馬灯65

■走馬灯65

 ぜんちの人生は幸せでした。

■「目で見るものと心で見るもの」(谷川俊太郎他、草思社、1999年)を読む。(その3)

「バリ島には“何もしてはいけない日”というのがあります。」

「江戸時代は、徒歩で行けるところへしか行かなかったから。」

「すべてのものは滅び去るという浄土教の現世観では~」

「市中の隠居」

「むしろ問題にすべきは、自然保護をうたいながら、その実、自然の本当の姿が見えていないことなのだ。」

「驚嘆するために私は存在する!」

「人間を叡智へと導く方法は、最も単純な子供らしい方法、自然のものに目をみはり、自然の発する言葉に予感に満ちて耳を傾けることだ」

「アジアの都市というのは、不快なもの不潔なもの、いわば前近代的なものを消し去ろうという自己努力が強く働いていますね。」

「雨が降っていなければ、食事も眠るのも外なんです。」

「本来日本人が持っていた静けさに対する資質が失われてきた。」

「曖昧なものが評価されなくなってしまったんです。」

「無菌無臭の環境を善とする社会的信仰が子どもたちの免疫力を奪っている~」

「“快適”さばかりを求める健康信仰は、錯覚にすぎないのである。」

「無意識だからこそ、極端に車間距離をつめて走れるのである。」

「だいたい詩人がいつも綺麗な言葉を使っていると思っている人が多すぎるんです。」