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■顔
退院後は、日々コーヒーショップ通いが続いている。よく行く店は3ケ所である。
今日なんか、注文口に立っただけで、別のスタッフが氷水を入れたコップをレジ横に置いた。
スタッフの年齢は、20代だろうと思っており、自分では誰一人覚えることは出来ない。しかし、相手は自分のことを覚えている。
これに感激し、ドーナツを追加注文した。もちろん、ポイント交換である。
もう、顔になったようだ。
そのうち、「アレ」で通じるかもしれない。
ここで思い当たることがある。スタッフ達は、どのように自分を認識しているだろう。
これは、想像であるが、「あの、顔がむくみ、相撲取のような腹をしたジジイ」とか、「いつも、安いコーヒーしか頼まないデブ」とか、だろうと。
しかし、それでも構わないと思っている。身だしなみには、気を付けているつもりであるが、顔はどうにも出来ない。
今処方されている薬の一つに■■■■■がある。これまで、いろいろ世間を騒がせて来た。この薬の特徴は副作用が多いことではなかろうか。それでも、目的とする炎症を抑えるためには、有効なので、■■■■■と一緒に、副作用を抑える薬も処方されている。
■■■■■の副作用の一つに、顔のむくみがある。今の状態である。そして、これにはムーンフェイスという名前が付けられている。
同じ症状の人の記録を読むと■■■■■服用が無くなった時点を寛解としている。
先日の診察で、主治医に■■■■■服用が無くなる可能性を聞いたところ、難しいという返事であった。
軽傷の人は、そうなる可能性が高いという。最初の投与が30mgから始まる人は、徐々に減らしてゼロになるようだが、自分の場合は、最大投与量の60mgからスタートしたので、経過が良い場合でも5mg止まりとのこと。
これが嫌なら自己責任で服用を中止するしかないが、死のリスクを引き受けなければならない。
■「平凡な日常を切り捨てずに深く大切に生きること」(三浦綾子著、フォレストブックス、2022年)を読む。(その1)
「聖書の言葉には力がある。」
「何か捨てることから始めないと、どんな使命も達成されない」
「何の意識もなく生きている命は、果たして命なのか」
「他のために生きなければ、むなしい人生を送るより仕方がないのです。」
「生き残るということの辛さ、生きていることの哀しさ~」
「老人は体力が失われ、仕事から退き、やがて来る老衰、老人病、そして死への不安が、老人にはある。」
「体力も気力も失い、社会から取り残され、いつ癒やされるという望みのない、いわば死を待つ患者たちの群れの中にわたしはいたのだ。」
「真の生き甲斐とは、健康の時も、健康を失った時も、仕事を持っている時も、失った時も、若い時も、年老いた時も、不変のものであらねばならぬのではないか。」
「失うことなき生き甲斐は必ずある。」
「希望は失望に終わらない」
「病気は、どんな病気も決して楽ではない。」
「また、金のないことも決して小さな苦しみではない。」
「肺活量のない彼女は、洗面器に顔をつけただけでも死ぬほどの病人だったのである。」
「人間の肉体は有限である。」
「療養者も死刑囚も、共通していることは、死と戦っていること、この世から取り残されていることであった。」